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2007-10

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スティル・クレイジー (1998年/英)

最近、身内でバンドを結成しようと画策している者がいることから、急にこの映画を観たくなった。
この映画は、あくまで元有名バンドの再結成をめぐる騒動を描いたもものではあるが、結成への思いや、メンバーそれぞれのジレンマ、音楽に対する情熱、メンバーの欠員など、相通じるものがあり、映画の終わりでは、きっと胸にグッと込み上げてくるものがあることだろう。


1977年、伝説のウィズベック野外ロック・コンサートを最後に解散した人気バンド――ストレンジ・フルーツ。
それから20年の歳月が経ち、不本意ながらコンドームのセールスマンとして働いているキーボード奏者だったトニーのもとに、ウィズベック20周年記念フェスティバル参加への誘いが持ちかけられる。
彼はバンドの再結成を決意し、さっそく昔の仲間を探し始めるのだったが、かつてのマネージャーは堅気になって地道に働いており、ギタリストは仲間との不仲を気にし、ドラマーは借金取りに追われ、ヴォーカルは負け犬根性が染み付いており、極め付けに、天才ギタリストと称されていた一人はどうやら、もうこの世には居ないようだった。果たして“伝説のバンド”は復活するのだろうか......!?

このような音楽映画は上手くまとめるのが意外と難しい。
音楽に下手に重心を置きすぎると、流れが悪くなるし、展開ばかり気にし、軸となる音楽をそっち退けにすると、感動が得られない。
その点で、この映画は非常によくまとまっていると思う。
集まってみたものの、最初はメンバーの気持ちもバラバラで、久しぶりの演奏はひどいものだった。
しかし一人一人が問題を解決していき、バンドとしての演奏を上達させていく過程がコメディタッチでテンポ良く描かれ、その時々に適切に音楽を織り込むことで、自然と演奏シーンを受け入れさせてくれる。
単純な物語が功を奏した、といった感じである。
単純ということは、決して悪いことではない。こういったハイテンションなエンターテイメント作品は単純だからこそ、気負うことなく楽しめる。その逆の例が、派手な味付けに拘り、話を矛盾だらけのものにしてしまうハリウッド映画に多々見られることだろう。

そしてキャストがツボに嵌ってくる。
結局恋愛においては道化に他ならなかった男・トニーを哀愁たっぷりに演じたスティーブン・レイ。
マルサの女(死語?――でも宮本信子に似ている)に怯える太っちょドラマーを演じたティモシー・スポール。
バカでナルシストで気分屋といった、とんでもない性質の持ち主にも関わらず、どこか憎めないヴォーカルを演じたビル・ナイ。
こんな奴等が集うのだから、バンドはクレイジーに違いない。そして映画は面白いに決まっている。
ロックの名曲とともに、お楽しみあれ!
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吉井和哉 日本武道館ライブ2007

十月二四日に日本武道館で行われた吉井和哉のライブに行って参りました。
日頃、クラシックのコンサートには行くものの、ロックのライブに行くことは初めて――これも単衣に「吉井和哉だから」との思いから足を運ぶことになりました。
そこで今回はそのライブについて報告しようと思います。


闇夜に輝く車のライトに目をしばたたかせ、向かうは日本武道館。厳しい門を潜り抜けると、意外と小さなそれが姿を現した。
既に周囲は初詣の如く、夜空に白い吐息をたなびかせた人が群れをなしていた。
中に入ると、ステージが囲うように薄膜に覆われていることに気が付く。

定時になっても始まらず、緊張感が辺りを包み始めた頃、その膜に映像が映し出され、introductionから曲は始まった。

その薄膜とライトを使った斬新な演出と、サイケデリックな音楽で、一気に場は盛り上がった。
吉井和哉は白いジャケットに身を包み、「これぞロックスター」と思わせるパフォーマンスを見せながら、最新アルバムの楽曲を中心に、Yoshii Lovinson名義の曲、oasisとRolling Stonesのカウ゛ァー曲、そしてThe Yellow Monkeyの「聖なる海とサンシャイン」「Love Communication」を歌い上げた。
トークで魅せる妙味も含め、途切れることのない全力投球で歌ったアンコールまで、大満足の2時間だ。


そして今回は予期せぬハプニングが起こった。ステージ脇のバルコニー席だった私たちのもとへ、曲の途中でロードを歩き出した吉井和哉が向かってくると、客席に手を伸ばし、握手してくれたのだ!しかも一緒に行った友人は手にキスまでしてもらった!

考えてみれば、私は十年来の吉井和哉ファンだ。そしてこの夜の思い出により新たな思いを胸に刻みつけた――もうこうなったら、死ぬまで吉井和哉ファンを貫こう!
元より実力は折り紙つき。そして今回、CDで聴くよりもライブで聴く方が何倍も楽しませてくれる、彼のそのプロフェッショナルぶりに惚れたのだ!



読み返してみると、この報告では彼の音楽についての記載が非常に少ないように思われます。
しかしこれもライブでの興奮の余韻の為せる技です。吉井和哉なる人物の魅力が僅かばかりにでも伝わって戴ければ、と思います。
因みにこのライブの模様はwowowで後日放送するらしいです。私を捜すなどと云う盲動に出るなどと云うことは決してないと思うが、あくまで吉井和哉に興味を持たれた方は御覧下さい!

【シリーズ】なんか変な映画観ちゃった⑦ 「メルシィ!人生」 (2000年/仏)

コンドームが主力商品のゴム会社に20年間勤める、いたってまじめなだけが取り柄の冴えない中年男性ピニョン氏。会社に勤め、帰宅すると自分を捨てて出て行った妻子に、話しさえ交わしてくれないにもかかわらず電話をかける毎日......
そんな彼に追い討ちをかけるように、会社からクビを宣告される。
人生の光明を見失った彼は身投げをしようとするが、隣の部屋に引っ越してきた老人に助けられる。
事情を聞いた老人はクビにならない方法をピニョン氏に伝授する――その方法とは、自分はゲイであるとカミングアウトすることだった!!
翌日、会社宛に男と情熱的に抱き合うピニョン氏の写真が送られてくる。これを見た経営陣はゲイ差別との糾弾を怖れてピニョン氏の解雇を撤回する。ピニョン氏の思惑は見事に成功したわけだが、当然周囲の見る目はすっか変わり......!?

監督は「奇人たちの晩餐会」等のコメディ映画を数多く手がけた、フランスの喜劇映画監督フランシス・ヴェベール。
出演にダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデュウー、ティエリー・レルミットを迎えた。
特にダニエルとジェラールは「あるいは裏切りという名の犬」でも競演したフランスを代表する名優だ。

シブい二枚目を演じることの多いダニエルが、この映画では徹底的に三枚目を演じている。
特に、ピニョン氏のゲイ写真を見た女性社員が
「私は最初からそうだと思ってたのよ。」
と無責任に言い放ち、その理由を
「鳩っぽくクリッと横目で人を見るところ。」
と説明した直後のその演技は絶妙だ。

またジェラールも、同僚に
「『ゲイ野郎なんか大嫌いだ。』などと云うのは時代遅れだ。」
とたしなめられ、積極的にピニョン氏に接するように指示され、遂には精神を病むまでになってしまう、その単純無垢な姿(それもあの巨体で)が憎めない。

そしてこの二大名優の喜劇演技を盛り立てるのが巧妙な脚本だ。
あらすじを追ってもらえば分かるように、下ネタも多いことから、一歩踏み間違えれば非常に下品な作品になりかねない。
そこを会社や家庭といった、日常的かつ人工的な場における矛盾や差別を織り交ぜることでアイロニカルな笑いに昇華させている。
いままで自分に全く自信を持てていなかったピニョン氏が、社長命令でいやいやながらゲイのパレードでコンドーム宣伝の山車に乗り、恰も裸の王様さながらの様相に陥ることで逆に自分の姿を見つめなおし、結果的に自信に満ちた男に変身していくところでは、すっかり笑ってしまった。
更に、子猫をモチーフにするところも、やわらかい雰囲気を出し、効果的だ。

とても短い作品なので、ちょっとした休憩に鑑賞してみてはいかがでしょうか?

転々 (1999年双葉社/2006年新潮社)

まだ少ないながらも、ここで紹介している本の全てが新潮社より出ているものなので、晋撰堂店主は新潮社ばかりを贔屓している、とどこからか不満の声が聞こえてきそうだが、決してそのようなことはない。お気に入りの京極夏彦氏の作品は講談社と角川だし、時々読む藤沢周平氏の作品も、石田良衣氏の作品も文春文庫だ。極めて満遍なく読んでいるのだが、何故か紹介したい本がいつも新潮社の本になってしまっている、と弁解しておきたい。念のため。
まぁ、確かに新潮社は“新潮社装丁室”という独自のカヴァーデザイン部門があるように、本に対する真摯な姿勢が窺えて好感を持っている。紙質が悪いという面もあるが......

さて、話が逸れてしまったが、今回紹介するのは藤田宜永の「転々」だ。既に映画化も決まっており、出演はオダギリジョー、三浦友和等だ。原作を読んだ限りでは、オダギリは良いとしても、どうしても三浦のイメージがなく、できれば渡哲也にでも演じて欲しいものだ。しかも映画予告編を見たところ、原作の暗さは感じられず、とてもコミカルな雰囲気だったので心配は募る一方だ。

さて、またも本筋から逸れてしまったが、これからは本の話に集中したい。
まずこの本を読むにあたって注意しておきたいのは、ラストでまるで見知らぬ街に独りとり残されてしまうかのように突き放される衝撃が待ち受けているということだ。
終盤の展開を考えると、気分良くハッピーエンドにも出来ただろうが、それを避けるところが――賛否両論あろうが――この本が人の心に残る所以なのだと思う。
しかし、そこに至るまでに、まさに転々と様々なことが起こる。

主人公・竹村文哉は実の親に捨てられ、養父母はろくでなし、そして自分は大学を休学し、借金は積もる一方、さらに下宿先の大家からは立退き勧告を受け、まさに不幸を絵に描いたような男だ。そこに取り立て屋風情にして「天国と地獄を一度に見ているような」男・福原が現れる。福原は「百万円払うから俺と一緒に東京を散歩しろ」と奇妙な提案を文哉に申し渡す。文哉はいぶかしむが、他に選択肢もなく、その小旅行に付き合うことになり......!?

二人が歩を進めるにしたがって、様々な人と出会い、事件と遭遇し、どこまでも変わり映えのしない街並みを眺め、どことも異なる街のにおいを嗅ぎ、自分たちの過去が鮮やかに甦っていく。そのそれぞれの街の描写がとても鮮やかで、知っている街のことだと
―うんうん、そうだよなぁ。
と思わず頷いてしまい、知らない街のことでも頭のなかにリアルな地図が広がっていくような錯覚を覚える。
その鮮やかさは主人公等が思い起こす過去の出来事も同じで、妙に生々しい。それもそのはず。主人公たちにとって、その語られる話はまだ「過去の出来事」にはなっておらず、常にフィードバックされているものなのだろう。したがってこの歩みは、その出来事を過去のものにしていく苦しい作業でもあるのだ。
人生とは多かれ少なかれドロドロとしたものだが、主人公の人生(不幸な出生やストリッパーとの情熱的な恋(!!))は特に際立ってその部類に入る。しかし本作からはグロテスクな雰囲気は感じ取れない。その理由は主人公の乾いた感情と、福原の粗雑だがどこか温かい人柄――或いは東京の空気にあるのかもしれない。
変温動物になってしまったかのような人間が、東京の街の温度にその人生を左右されてしまうのか、或いは冷たいものと熱いものを持ち合わせる人間が、意図せずそんな東京の街を創り続けているのか――僕にはわからないことではあるが、きっとその理解の及ばないことも含めて、人生はそんなものなのだと思う。

興味を御持ちになられたら、是非御手に取って戴き、車と電車と、人々の靴音の途切れない東京の街で読んで戴きたい一冊だ。

【シリーズ】なんか変な映画観ちゃった⑥「Connie&Carla」 (2004年/米)

「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」で一躍有名になったニア・ヴァルダロスと、「リトル・ミス・サンシャイン」のトニ・コレットが共演したドタバタ・コメディ。
「雨に唄えば」等ミュージカル映画の大御所デビー・レイノルズ等の豪華キャストが脇を固めている。

コニー(ニア・ヴァルダロス)とカーラ(トニ・コレット)は幼い頃から大の仲良しで、共通の夢は歌とダンスでスターになること。
しかし幼少期の学芸会の出し物から、大人になって酒場で上演するショーも全く売れなかった。
そんなうだつの上がらない生活のなかで、ひょんな事から二人は殺人事件に巻き込まれてしまう。
なんとかロサンゼルスに逃げたものの生活していくには金が必要だった。
そこで追手から身を隠すためにも女装したオカマになりきり、”ドラッグクィーン”として舞台で働くことにするが、予想以上に大ウケし、遂にはテレビにまで映ってしまい......!?


このような映画で脚本のアラを探すのは無用だろう。
もちろん“ちょっとした嘘”から後に引けない状況に陥った主人公をめぐるドタバタはコメディの典型であり、ラブコメの要素を盛り込んだところで新鮮味が感じられるわけではないが、女がわざわざ男が化けた女に成りすますと云う発想は面白い。
そして何と云っても、主演の二人の格好の良さが際立っている。「シカゴ」のレニー・ゼルウィガーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズの如く自信に満ちた二人が歌い踊る場面は、この映画の一番の見せ場である。
もちろん、自分の身近にオカマが居たらどう対応するだろうか、と云う視線から鑑賞してみるのも面白いだろう。
おまけに老いたデビー・レイノルズのステージ・シーンもある。
期待しないで観る分には十分に楽しめる映画になっている。

犯人に告ぐ (2007年/日本)

川崎で連続児童殺害事件が発生する。神奈川県警は犯人検挙に全力を投じるが、捜査はやがて行き詰りを見せる。そこで神奈川県警本部長の曾根(石橋凌)は、かつての部下で足柄署の巻島(豊川悦司)を呼び戻す。巻島は、6年前に誘拐事件で犯人を取り逃がし、激しい糾弾を受けた過去を持っていた。巻島は汚名返上のため“劇場型捜査”に乗り出すが......!?

wowowが加熱する顧客獲得競争の新たなる武器として立ち上げた劇場用フィルムレーベル“WOWOW FILMS”が製作した第一弾映画だ。今までもオリジナルの2時間ドラマで高評価を得ていただけに、自信をもって製作したのではないだろうか。
しかしかつての2時間ドラマもそうであったが、有名小説を原作にすると、観客の興味は俄然喚起させられるものの、実際には2時間では到底説得力のある内容を描けず、どうも尻つぼみになっているように感じてしまう。
今回も残念ながらその悪い癖を踏襲してしまったようだ。

フィルム=ノワールを意識した暗い色調で雰囲気は醸し出せているものの、内容は表面をさらったにすぎない。腐りきった2つの組織――警察とマスコミの各々の覇権争い、視聴率獲得競争の様がドロドロと際限なく描かれ、絡み合う過去と現在の連続児童誘拐殺人事件の緊迫感をまるで出すことが出来ず、失敗に終わっている。
そもそも、
―何が正義か。
と云ったテーマはこの物語にそぐわないと思う。巻島もやはり模範的な警察官ではないのだから。

そして、最後に、役者陣の演技が揃って醜悪である。妙に振る舞いが大仰であると云うか、白々しい。多少マシなのは、主演の豊川悦司くらいである――終始格好の良い豊川の姿は、ファンにとっては大満足かもしれない。
兎に角、観ていて気持ちの良い映画ではなく、TVの2時間サスペンスドラマが少し重厚になった程度の印象しか残らなかった。
そんななかでも笹野高史の飄々としたなりに癒しが見出されるのは救いだ。
WOWOW FILMSには次回作に期待したい。

プルートで朝食を (2005年/イギリス・アイルランド)

リーアム神父(リーアム・ニーソン)の教会に捨てられた乳飲み子のパトリック(キリアン・マーフィー)は、ブレイデン家の養子になる。しかし大きくなるにしたがって、自分の本当の親への関心は高まる一方だった。そして女性的な青年“キトゥン”へと成長したパトリックは、アイルランドの田舎町ではすっかり浮いた存在になってしまった。
あるとき、遂に家出を決心し、美しい母親の幻影を追ってロンドンへ向かうのだったが......!?
二ール・ジョーダン監督作品。

これはただのオカマの物語ではない。そしてただのコメディ映画でもない。
まるで現代の人としての不幸を一身に背負い込んだかのような“キトゥン”の幸福な半生を描いたロードムービーである。
主人公“キトゥン”ことパトリックは自らの出生の秘密、母親への憧憬に因を為す性同一性障害を抱えながら、それを隠すこともせずむしろ曝け出す。それは単なる女らしさの発露ではなく、脆い男らしさに帰属するものではない強い勇気を表出している。しかし本人はあくまで自分の行動は自然なこと、運命られていることであるかのようにサバサバとしているところが良い。
そしてそれは自らに降りかかる数々の不幸に対しても同様で、妙に楽しんでいるきらいさえある。「みんなまじめすぎる」と云う言葉にその思いが表れていることであろう。
更に出てくる男たちが皆どこか間が抜けていて、パトリックの母性に包まれてしまう。しかしそれは彼等にとって束の間の幸福である。如何なるかたちであれ、巣立ちのときはやってくるのだから。
その意味で、偶然かもしれないが、パトリックを見守っているのが鳥であったことは演出の妙と云える。

この考察で、この映画がただのオカマの物語ではないことが御解かり戴けたと思う。そこで次にこの映画がただのコメディではないことについて書き添えておきたい。
まず、監督のアイデンティティに関わることであろうアイルランド問題の意識が映画に色濃く現れている。監督がアイルランドを愛するからこそ、本来の目的を見失い、破壊と殺戮に尽きるIRAに対する鋭い批判を投げかける姿勢が見て取れる。
また、世に蔓延る不条理な差別や偏見に対する批判も描かれている。
この静かなる怒りをコメディと云う砂糖菓子(但し中身は劇薬級)にして仕上げているのだから、感心する。

個人的には、この映画が上映されていたときに是非観たいと思っていて、しかしいざ友人を引き連れて劇場へ足を運んでみると既に上映は終了していたと云う因縁があったため、感動はひとしおであった。

バニシング・ポイント (1971年/米)

―これほどまでに格好良い映画はそう更にない。
こう云わしめるのは、何も僕が耽美主義的傾向があるからではない。
兎に角、「格好が良い」と云う言葉はこの映画の為にあるようなものだ、とさえ思えてくる。

画面は謎多き男――コワルスキーが白のチャレンジャーに乗って只ひたすらに続く道を爆走しているところから映し出される。その後、物語は特に展開を見せない。友人と賭けをし、自らその対象となってサンフランシスコまでの広大な道のりを走り続ける。スピード違反のため追ってくる警察を激しいカーチェイスの末に振り切り、途中で出会った様々な人々に助けられ、警察の情報を盗み聴いたラジオDJからは番組で応援される。

途中で出会う人々が、当時の世相、サブカルチャーを反映していて、また良い。
当たり前のようにヤクに手を出す若者、根強い差別を受ける黒人、腐敗する警察組織、オカマの強盗、ヒッピー......
絶対的繁栄が崩れ去り、信じるべき大きな物語を失ったアメリカの暗澹たる日々。そこに彗星の如く現れたコワルスキーは、その失墜した楽園に反旗を翻すヒーローのように目に映ったのかもしれない。
しかし、彗星の一生と云うものは、皆一様に運命られている。

主人公コワルスキーは自らの事情を語らない。しかし時々挿入される彼の追憶の情景から、どうやら彼には自分の心にとても素直であり続けた結果命を落とした彼女が居たこと、かつて警察だった彼は、一個人では太刀打ちできない暗黒部が蔓延っていることに直面したことを知らされる。
それに関わって、彼の疾走も潔く幕を引く。
そしてそれが映画のラストでもある。
それ迄の爽快感が遠い夢幻のように思われてしまうそのラストは甚だ空空しく感じるが、そこがアメリカンニューシネマの真髄なのだ。

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プロフィール

晋撰堂

Author:晋撰堂
晋撰堂は京極夏彦の京極堂シリーズにかぶれていた頃に命名。
自分の名前にも由来していますが、文化的娯楽作品から気が向いたものを取り上げてレビューを書いていこうと思います。たまに雑記と称して日々の雑念も放出します。
ただ問題は、ほとんど更新をしないということ。休眠状態を常としている現状ですが、もっと気軽に書けるよう努力してみようかと思ったのも、本日の気の迷いかもしれないです……

コメント、リンク等も何卒御気軽に。

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