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2007-08

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黄金を抱いて翔べ (1990年/新潮社)

言わずもがなだろうが、本書は1990年に発表された高村薫のデビュー作にして日本推理サスペンス賞受賞作だ。

実務能力に秀で大望を抱く男・北川の呼びかけによって集まった四人+一人――友人にして金庫破りの名人・幸田、イケメンコンピューター技師・野田、爆弾のエキスパートで元北朝鮮工作員・モモ、元エレベーター整備士で謎多き老人・岸口、そして計画を盗み聴きして加担することになった北川の弟・春樹だ。この六人の男たちが狙うものは、銀行の地下に眠っている六トンもの金塊だった!!

『大阪の夜空の下に散る男たちの影が、金塊のきらめきに変わる!!』
そんな売り文句を帯に付けたくなってしまうハードボイルドな小説だ。
しかしそんなに首尾よく目的のブツを手に入れられる訳ではない。実質的な主人公の幸田を中心とした各々の過去と、更に様々な者共の思惑が絡まりあい、もう息をつく暇もないような展開を見せる。
それにしても「これがデビュー作!?」と驚愕するほどディティールが細かい。複雑な電気回路の説明やら、朝鮮との国際情勢やら。そのリアルさと云ったら、この話がまるで昨日ニュースで見た出来事かと勘違いしてしまうほどだ。そして「そうか!完全犯罪はこうして成立していくのか......よし、僕もひとつ!!」と野心を抱いてしまう(いえ、冗談です。僕はあくまで合法的な人間ですよ?信じてください)。

「信じるものは、救われる」
そう、著者が国際基督教大学出身と云うこともあって、少しばかり聖書や教会も絡んでくる。

少し話は逸れたが、兎に角、「金の延べ棒を抱いて眠りたい!」等と日々夢に思い描いている人(?)も、そうでない人も、必読ですよ!

それにしても金の延べ棒なんか普通に持っている人なんか居るのだろうか?
二年前位に、都内の豪邸に住む無職の初老の男が逮捕されたと云うニュースを耳にした。なんとその男、三十余年に渡って空き巣を生業とし、遂に現行犯逮捕に至ったのだと云う。そしてその男の屋敷のなかはサバくにサバけなかった美術品や高級家具等々に溢れており、その中のひとつとして金の延べ棒もあったらしい。もう、現代のルパンだ。当時僕は不謹慎にも感動してしまったのをよく憶えている。

再度話が脱線した。つまり僕自身、読後の感動が未だ冷め切れていないと云うことだ。
最後に、この本を読み終えて唯一疑問に残ったことがあるのだが、作中で幸田が買ってきた寿司と牛乳のとりあわせは一般的なのだろうか?僕は想像してみて気持ち悪くなってしまった......
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私が語りはじめた彼は(2004年/新潮社)

「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞を受賞した三浦しをんの著。

大学教授村川融の不倫が発端となり運命を狂わせてゆく助手、妻、息子、娘――男と女たち。それぞれが途方もない哀しみ抱えながらも、瓦礫のなかから必死で何かを求め探すように生きている者たちの危うい関係を圧倒的な表現力で描く。

まだ8月の、夏と認識されているだろう時期にこの本を紹介できて本当によかったと思う。なぜならば中国皇帝の逸話を経て始まる本編の季節も夏だからだ。その夏の描写からして実にリアルで、仮令クーラーの効いた部屋でこの本を読んでいようとも、思わず自分の服が不快な汗でじっとりと湿っているのではないかと確かめたくなるほどだ。
大きなひとつの時間軸のなかでそれぞれの章の「私」が語られていく様は、その後の三浦氏の著作「むかしのはなし」と同様であるが、こちらの方がその関係性は明白だろう。
僕個人としては直木賞受賞作の「まほろ駅前多田便利軒」よりもこちらの作品の方が気に入っている。もちろん「まほろ~」も良い作品だとは思うが、登場人物がどうも漫画チックな気がして痛快ではあるが、読後に実感する重量感に欠ける。その点でこちらは複雑な人間関係が驚くほどの観察眼をもって表現されている。是非その美しい表現の数々に浸りながら読んで戴きたい。

オスカーとルシンダ

主演はレイフ・ファインズとケイト・ブランシェットの二人。
監督は同じくケイトを主演に迎えた「シャーロット・グレイ」のジリアン・アームストロング。
イギリスの文学賞であるブッカー賞を受賞したピーター・ケリーの原作を映画化したもの。

ビクトリア朝時代のオーストラリアとイギリスを舞台にして、父の宗派と違えて牧師になったオスカーと、お転婆で相続した親の遺産を使ってガラス工場の経営者となったルシンダという全く接点のなかった二人の人間が「大のギャンブル好き」であることで徐々に惹かれあっていく。社会からつまはじきにされている二人は、暫しギャンブルを我慢していたものの、遂にオスカー自身がオーストラリアの奥地にガラスの教会を無事に運ぶことができるかという一世一代の賭けに挑戦するが......!?

二人の気持ちがすれ違ってしまい、切ない。思わず「勇気を出せ、オスカー!!」と応援したくなるほど観客はなんともヤキモキさせられる。
それほどオスカーは幼少時代になにかを置き忘れてきてしまったような大人で、賭け事以外はまるで頼りなく、運命に翻弄されていく。世の中に拒まれた者独特のオドオドした身振りをし、けれど純真な心を持つオスカーをレイフ・ファインズが好演している。

時代背景が僕等にはわかりづらいのだが、兎に角「宗教映画か?」と思われる始まりから、恋愛、冒険と盛り沢山の展開を見せる。
賭けのシーンや教会が船で向かってくるシーン等はもっと演出に工夫できるのではないかと思うほど坦々としているが、オスカーとルシンダの孤独と哀しみについ感情移入してしまう。


これは余談なのだが、最近個人的に美しい数々のガラスに触れる経験があったので、思わずガラス精製のシーンには身を乗り出してしまった。

The Breach (原題)(2007年/米)

「ニュースの天才」を撮ったビリー・レイ監督最新作。
クリス・クーパー、ライアン・フィリップ、ローラ・リニー出演。

2001年2月に反逆の徒とされたアメリカ元FBI捜査官ロバート・ハンセンの逮捕に至るまでを描いた骨太な実話サスペンスだ。

念願のFBI捜査官となったエリックは「伝説のFBI捜査官」と賞賛される敏腕ロバート・ハンセンの部下として配属され意気揚々としていた。しかし別の上官に呼び出されるとハンセンは異常な性癖を持つ危険人物であることを告げられ、更にハンセンがソ連と通謀している事実を突き止めるように秘密裏に捜査することを要請される。出鼻をくじかれたエリックだったが危険な二重捜査へと身を投じていくのだった......!!

主演はクリス・クーパーと表示されるようだが、作中ではむしろエリックがハンセン有罪の決定的証拠を得るまでにスポットライトを当てている。もちろん「パトリオット」等で悪役も板についており、かつ「アダプテーション」でアカデミー賞助演男優賞を受賞して演技力も折り紙つきのクリス・クーパーは、作品にピリピリとした空気を漂わせ、演技に余念はない。
しかし今作で驚かされたのはライアン・フィリップの演技だ。詳しくは書けないが、観客には真実を語っているようにも偽りを騙っているようにも見せなくてはいけない難しいシーンも無難にこなしている。
僕の敬愛するクリント・イーストウッド監督作「父親たちの星条旗」に出演して以来、その活躍には目に余るものがある。

作品としてはよくできている。坦々と知的攻防が繰り広げられ観客としても常にヒヤヒヤさせられる。しかしスピード感を重視したいサスペンスでは難しいことかもしれないが、両主人公の人物像についてもっと掘り下げる間を与えても良かったようにも思われる。
しかしハンセンの「祈りなさい」と云う言葉は忘れがたい。

それにしてもこれは深読みではあるが、題名の「breach(違反)」を「bleach(漂白)」に転じてみる。
それを考慮すると、ハンセンは「腐りきったFBI組織を壊滅させてやる」との大義名分を持って離反し、FBIは「組織は完全な同志により統一されてなければならない」として手駒を同色に塗り潰していく。つまりどちらも目的は「浄化」にあったのだ。


日本未公開作品だが、わりと良作。

【シリーズ】なんか変な映画観ちゃった① 「1980」 (2003年/日本)

最近YMOの活動についてよく耳にする。彼等のスタイルは格好良いと常々感心するばかりだ。彼等の楽曲のなかでも「RYDEEN」を知らない人は少ないだろう。僕もこの曲に不思議と(あまり機械的な音を普段は好まないので)感化された一人だが、この曲を聴くと思い出してしまう映画がある。「1980」だ。

1980年のある日、東京の某高校にアイドル(但し、1年間の失踪の末に芸能活動に区切りをつけていた)一之江キリナ、本名・羽柴レイコが現われる。 どうやらこの母校で英語の教師に就くため教育実習にやって来たようだが、突発的に厄介な性癖を露にしてしまう。
そんなレイコの近況を知った姉で、同校教師の歌川カナエとレイコの妹で同校に通うリカは不安を覚えるものの、この妹を含め、三姉妹にはそれぞれある問題を抱え込んでいた。
カナエは夫のノーパン喫茶通いに怒りは絶頂を迎えていた。
またレイコは元マネージャーと揉め事を起こしていた。
そしてリカはボーイフレンドに頼まれて映研の映画に出演したものの、最終日の撮影では自らのヌード・シーンが待っているのだった......

監督は演劇界の鬼才ケラリーノ・サンドロヴィッチ。
三姉妹は上から犬山イヌコ、ともさかりえ、蒼井優が演じる。
更に脇は及川光博らがかためる。

本当にバカらしいのだが笑ってしまう、本当にアホらしいのだがどこか切ない、まさに現実を忘れるにはもってこいのふっ飛んだ映画だ。
落ち込んでいるときに観ると、悩んでいたことが急にどうでもよくなってしまう。つっこみどころも多く映画としてはまさにB級なので全面的に薦めると云うものではない。しかしコメディとしての本領は発揮している。
しかも三姉妹がそろって1980年最後の夕日を眺める美しいラストシーンは、それまでハイテンションな映画と共に突っ走ってきた観客たちを脱力させる丁度良い「お口直し」なのかもしれない。


しかしここでなぜ「RYDEEN」をこの文章の導入に使ったかと云うと、エンドロールにかけてこの曲が流れるからだ。
ただそれだけ(すみません)。

ミス・ポター (2007年/米製作)

ピーターラビットを生みだしたビアトリクス・ポターの半生を描いたヒューマン・ドラマ。
1902年の未だヴィクトリア王朝時代であったイギリスが舞台。
封建的な世相で身分ある女性が働き稼ぐことなど考えられなかった時代に、上流階級の女性ポター(レニー・ゼルウィガー)は
自らの夢を追いかけて“ピーターラビットとその仲間たち”の物語を次々と出版する。
そしてふとしたことから担当の編集者となったノーマン(ユアン・マクレガー)と恋に落ちるが、商人との恋に両親は反対する。
しかしその身分違いにもめげず静かに恋の炎を燃やす二人。やがて結ばれる結末へと向かうのかと思われたとき、
思わぬ運命が待ちうけていた......!?監督は『ベイブ』のクリス・ヌーナン。

少し偏った視点で見れば、この話はなかなか結婚できないことをコンプレックスにしつつも日々の仕事に打ち込んでいる女を描いたもの(?)
で主演は「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルウィガー......
鑑賞するまでは些か心配だった。後年に自然保護を目的に広大な農地を莫大な資産を費やして買い取り、国に寄付した、どちらかと云えば
毅然として強く、そして少し偏屈な女性といったイメージを持っていたポターを彼女が上手く演じきれるのかを。罷り間違ってキュートな
コメディになってしまわないかを。
しかしそこは案ずることなかれ!老け顔メイクも功を奏してか(笑)結構馴染んでいる。
ただ釈然としないのは物語の描き方が中途半端で観客に特になんの感情も持たせえない。細々とした例の列記はここでは控えさせてもらうが、結局何が主題なのか疑問が残るばかりである。
扇情されるのは多少ドラマティックな人生にのみ注目する中年専業主婦ぐらいなものだろう(失礼)。

全体的に淡い色調に統一された演出は作品世界にあっている。
また主人公にピーターラビットの構想を膨らませたイギリス独特の田園風景が美しく映し出されている。

夏のおわり

長い長い旅から帰ってきたものの、この大地に足を踏み込んだ瞬間

―まだ帰ってくるには早すぎた。

と感じました。尋常ではありませんよ、この暑さは。仕事のあった昨日を除き薄暗い自室に籠って暑さから逃れていた訳ですが、しかしどうやら今日でその夏も幕引きのようです。
これは甲子園高校野球選手権と云う行事が始まった昔から決まったことです。
球児たちが最後の汗を流し、そして思わず頬を伝った涙に暮れなずむ夕日が写った瞬間、いつもこの夏のおわりに気づかされるのです

それにしても今日の広島広陵vs.佐賀北の決勝戦は凄まじかったですね。仕事を病欠(!!)して観戦しただけのことはありました。
僕自身は私立高校出身ですが、ハンデを抱える県立高校が強豪私立高校に挑みかかると云う構図のもと、公立高校の佐賀北を応援していました。いや、それ以上に、前の数試合を観て、昔少年野球でセカンドを守っていた僕は佐賀第一の二遊間の鉄壁の守りに完全に魅了されたと云う理由のほうが大きいかもしれません。
広陵が2点を先取したときは危機感を感じていませんでしたが、兎に角佐賀北はテンポ良く巧みに変化球とストレートを投げ込む広陵野村投手の前にバッタバッタと三振し、かつ広陵打線の隙のない攻撃に毎回ピンチを背負い、その都度ファインプレーで凌ぐ――まさに背水の陣と云った様で終盤を迎えます。そこに遂に7回、広陵にダメ押しとも思われる2点を捥ぎ取られます。僕も

―もうここまでか......

と天を仰ぎました。半ば諦め、半ば奇跡を祈って応援を続けていたところ、奇跡は起こりました。
勝利の女神の悪戯か、甲子園の魔物の気まぐれか――8回の佐賀の攻撃。満塁、押し出し、尚も満塁で3番の副島がなんと逆転の満塁ホームランを放ったのです。
昨年のプロ野球日本ハム優勝のときから使い古されている言葉ですが、信じられない――この心境に尽きます。
そして最終回、昨年の高校野球決勝戦最終対決(マー君vs.ハンカチ王子)がそうであったように、今年も見せ場の最終対決はそれまで力の限り投げ戦ってきたエースが各々マウンドとバッターボックスに立って相対峙したのです。そして結果、広陵野村の三振――その瞬間をもって大歓声に包まれた甲子園のマウンドに選手たちは駆け集まり、優勝の二文字を噛み締めました。

毎回その勇姿に力づけられ、感動するのですが、また同時に夏のおわりの予感に少し寂しさを覚える甲子園――来年も楽しみです。

デヴィッド・リンチ ワールドへの招待(初級篇)

1977年の「イレイザーヘッド」が高く評価されて以来、次々と独自の美学にのっとった異色作を発表してきた監督デヴィッド・リンチ。
TV用映画「ツイン・ピークス」の一大ブームも記憶に残るところではあるが、その評価が最高潮に達したのは90年の「ワイルド・アット・ハート」がカンヌ映画祭パルムドール獲得であろう。
またどちらかといえばこちらの方が熱烈なファンが多いようにも思われる「マルホランド・ドライブ」でも同映画祭監督賞を受賞している。


この監督の作品を語る上では避けることができないのが、性の獣的快楽に強く刻印された死生観であろう。
それはある者にとっては危機感に身を震わせ、強い拒絶感に満たされるであろうほどの毒々しく淫靡な犯罪臭を放つ。
しかし同時にその美しさに取り憑かれたように魅了される者がいるのも確かであろう。
監督の“夢”が具象化した作品の一つ一つは、とてもじゃないが一回観ただけでは理解できない。観客の二極化から難しいことではあるが、自分全感覚を総動員させ、せめて二回は観なくてはならないだろう。
そこでまずは身体慣らし(?)に「ブルーベルベット」から。

「ブルーベルベット」(1986年/米製作)
舞台はノース・キャロライナ州ランバートンのよく晴れた日、青空に不気味なほど映える赤いバラの花の映像から始まる。主人公ジェフリーは、庭仕事をしていて突然異常な発作に襲われた父を見舞った病院からの帰り道、ふと石を投げた野原に目を凝らすとそこにあるはずもない異様な物を見つけた。恐る恐る手に取ってみると、何とそれは切り落とされた人間の片耳であった。知り合いの刑事に報告し、これ以上の深入りはしないと誓うが、好奇心に引きずられ、探偵よろしく詮索を開始するが......!?


捜査していくうちにジェフリー青年が行き着いたある女性歌手の部屋で、彼はまるで両親の秘事を覗き見てしまった少年のようにおぞましい光景を目にする。
思えばこれは終始子供じみた主人公が、ラストシーンでの何事もなかったかのようなほのぼのとした家庭風景を築く大人になる儀式的な日々を描いたものなのかもしれない。

それにしてもデニス・ホッパー演じる狂気の猟奇殺人鬼フランクの人物像形はスゴい。一言発する度に「f●ck!」と叫び、極度の興奮状態に陥るとプラスティック製酸素マスク(マスク部分のみ)を口にあてがい、苦しそうな呼吸音を立てながらもせせら笑う。

他にも地を這う蟲、マゾヒストの女歌手、立ったまま頭から血を流す死体など、強烈な造形物が物語を彩る。

この映画そのものを私たち自身の白昼夢であるように感じてしまうほど、この映画は酷く現実的な感覚を伴っていて、怖い。



追記
初級篇と銘打ってしまったが、上級篇も書けるのだろうか、と自分で不安になっている今日この頃です。
御盆の間はしばし御骨休みとさせて戴きますが、現在公開中の「インランド・エンパイア」を鑑賞された方が偶然にもこの記事を目にしておられたら、是非感想をお寄せ下さい。

SAYURI (2005年/米)

2005年にハリウッドが製作した芸者映画。但しほとんどが英語で会話されている(面白いのは“芸者”はもちろんだが“おかあさん(これは“おかみさん”の間違いだろう)”や“姐さん”等も巧い英語訳がないためそのまま日本語が使われている。)

幼い頃に子細も分からず置き屋に売られた主人公さゆりは、生き別れになった姉を捜しに飛び出したり、置き屋の看板芸者に苛められたりしながらも、初めて優しくしてくれた某会社会長様を夢に見て芸者への険しい道を歩んでいく。

ストーリーについて云えば、これは希代の爆進ムービーだろう。
つまり“感動”の金粉で上手くコーティングしてはいるものの、2時間強の時間内で仔細を描く訳にもいかなかったのか、冷静になってみると主人公の怒涛の人生をかなり大雑把に辿っていることが分かる(主人公の神経が図太く感じられてしまうのもその所為か?)。
主人公の人生が第一であるため、主人公の行為が影響しただろう(しかし主人公の人生の路線からは少し離れた)事象――特にその結果は描かれていないことが多い。
確かに次から次に繰り出される溜息が出るほど美しい映像に満足させられ気づかないで済んでしまうかもしれないが......

しかしその映像表現自体が疑問だ。
「ラストサムライ」以来日本の伝統文化への関心も高まり、その意味での前進は評価されるところだろう。しかし厳しくその穴を衝くならば、まだ日本の空気、時間感覚が摑めていないように思う。
この映画で描かれている世界は兎に角時の流れが忙しい。
それ故に逆に日本の“美”特有の儚さが宿ることがなかったように感じられるのだ。

まぁ、これまでの日本への意識の低さを考えれば妥協もしよう。
しかし次は侍、芸者から離れてもっと現実的な日本を見つめてほしいものだ。


監督は「シカゴ」のロブ・マーシャル、製作には巨匠スティーブン・スピルバーグが就いている。
また出演陣もチャン・ツィイー、ミシェル・ヨー(まだまだハリウッドでは日本人女優の影が薄い)、渡辺謙、役所広司、桃井かおり(おかみさん役が格好良い!)、工藤夕貴と豪華。

ビッグフィッシュ (2003年/米)

2003年のアメリカ映画で同名小説をティム・バートンが監督したもの。

ジャーナリストのウィル(ビリー・クラダップ)とジョセフィーン(マリオン・コティヤール)の結婚式で、ウィルの父親エドワード(アルバート・フィニー)がお得意のウィルの生まれた日に釣った巨大魚の話を始めるのだが、ウィルはいつまでも夢見がちな父親に愛想を尽かし喧嘩してしまう。しかしその父親も病に倒れ死期が迫る中、ウィルは今まで嘘だと決め付けていた父親の軌跡を辿り始め......!?


バートンと云えば「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「コープス・ブライド」等のアニメーション映画の方が得手であるように思われる。
しかし本作は、ありがちな「父との和解」を軸にした、けれども彼独特のカラフルなファンタジー世界を融合させることで非常に観ていて楽しい、愛らしい映画に仕上がっている。
昔枕もとで親が語ってくれたとるに足らない物語のなかにも、何らかの真実が潜んでいると思うと、その脈々と受け継がれていくものの温かさを今更ながらも感じずには居られない。

またポスターにもなった一面の黄色の花畑に佇む主人公の画は忘れ難いほどの美しさだ。

しかしそのなかでも特に効果的なスパイスになっているのは、主演のユアン・マクレガーでも、美しいCGでもなく、そのほとんどが”怪役”であろうスティーブ・ブシェミだ。出演作としては「パルプ・フィクション」「コン・エアー」「ファーゴ」などが記憶に鮮明だろう。
その風貌から狂人を演じさせれば右に出る者はない。しかし裏を返したようにいい人も演じられるから、画面に出る度に、この映画ではどちらなのだろう、と目が離せない。
そんなスティーブ・ブシェミにこれからも期待したい。

ダイハード

1988年のアメリカ映画で 云わずと知れたブルース・ウィリスの代表作です。 したがって筋書き解説を書くのも今更野暮といったところでしょう。
最近「4.0」が上映されているらしく話題性もあります。
なんだか僕は「極度のハリウッド大作嫌い」だと認識されているらしい節がありますが、そんなことはありません。

これはいつ観ても傑作です。
もちろんアクションは満載なのですが、他のアクション垂れ流し映画とは異なり数々のユーモアを作中に仕込ませているため、観客はその都度安息を得(つまり一歩下がって態勢を直し)、次の瞬間また怒涛のアクションに息を呑む、その緩急が見事です。

そしてもう一つ成功していることはジョン・マクレーン刑事の人物像です。この作品より前の有名刑事モノと云えばクリント・イーストウッド主演の「ダーティハリー」(1971/米)があり、こちらも苦さに達するほど渋い魅力的な人物が好感を得ています。
しかしマクレーンの魅力は仕事中も家族の写真を愛おしそうに眺めたり、「なんで俺がこんな目に......」とぼやいたりしながらもムキムキと戦う可愛らしさにあります。
この人物像の確立度がその後の続編の有無に関わってくるのでしょう。

他にも権威主義への皮肉や「第九」の挿入の絶妙さも楽しめる要素です。

まだ未見のかた、是非お試しあれ!

ミリオンズ

ある父と兄弟がニュータウンに引っ越してくる。
母とは死別しており、兄は強い自分を装おうとし、弟は母の安寧と再会を願って伝説の聖者を信仰している。
ある日弟が空き地に建てた秘密基地で空想に耽っていたとき、天から鞄いっぱいのお金――ユーロへの切り替えのため使用期限が間近に迫ったポンドが降ってくる。
その”いわくつき”のお金を、兄弟はどうするのだろうか。そして迫り来る影が......!?

悪くはない。ただ「トレインスポッティング」「ザ・ビーチ」を撮った鬼才ダニー・ボイルに求めていたものではない。
確かに、斬新な映像を織り交ぜ、クールな音楽も良く、ホラーで培った緊迫したシーンもあり、彼の才能の一端を覗かせている気もする。しかしそれと同じくらいクサイシーンも“有効”であり、ラストに至っては微笑ましいのだが気が抜けてしまうのもまた確か。
僕が観ていた横で最後のシーンだけ観た友人が
「なにこれ?ユニセフの宣伝番組?」
と問うてきたときには苦笑してしまった。
そして決定的なのは、僕が個人的に聞き分けの無いお子様が嫌いなこと。よって僕の中では少し厳しめの評価でありお奨めはできない。


しかし大金の使用方法を見て、「あ~あ、もったいない」と思うのは俺が”よごれっちまった”からなのか?

善き人のためのソナタ

80年代、未だドイツが分裂していた時代、東ドイツのシュタージ(監視統制機関のようなもの)のエリートである主人公が、ある気鋭の劇作家と美しい女優のカップルの西に通じている可能性を疑い、部屋に盗聴を仕掛けることから物語りは始まる。
当初主人公は社会主義を信奉していたが、その中枢にある幹部たちは己の欲望の充足だけに稼動していると云う空虚な現実に触れ、またそれに対する芸術家たちの貫く崇高な信念を目の当たりにするうちに心の内に静かな葛藤を抱える。
そして劇作家の奏でるベートーベンのピアノの調に涙し、遂に反政府主義的活動を見逃すようになる、が......!?

緊張感のある展開が美しい音楽の旋律に乗せて駆け巡る。
また随所に散りばめられたシニカルなジョーク(!?)も面白い。
作中で「ベルリンの壁崩壊」がラストシーンへの導入として短いながらも要素として際立っている。
経験の浅い俺としては受験などでただ知識として詰め込んできたそれがいかにその当事者たちにとって重大な出来事であったのか、それまでの主人公の軌跡を追ってきた者としては、その真実の衝撃に涙を禁じえない。
そして間を置かず粋なラストシーンで微笑ませてくれる、なんとも”美しい”映画。
これは、名作。

バベル

監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと脚本ギジェルモ・アリアガが組んだ2006年のアメリカ映画。
出演はブラット・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、アドリアナ・バラッザ、役所広司、菊池凛子

“バベルの塔”については旧約聖書の創世記第11章に記述されている。その中においては、全世界が1つの言語によって成り立っていた時代、メソポタミヤの人々は自分たちの名前を大いに揚げ、地の前面に散らされる事のないように自分たちの都市を、そして塔を建て、その頂を天まで届かせようとした。しかしそれを見ていた神が怒り、人々の言葉を混乱させた。そのため人々は互いの言語が理解できず、塔の建設は破綻し、各地へと散らばっていった、とされている。


映画では4つの地域に暮らす人々の混沌とした物語が紡がれていく。

子供たちの事ばかりを気に掛け、いつの間にか自分たちの幸福やコミュニケーションを置き去りにしてきてしまったアメリカ人夫婦。

他者と著しく隔絶されたモロッコの砂漠に共に住むが、互いに素直に理解し合えないベルベル人の兄弟。

自らの領分を逸したために大きな代償を支払わねばならなくなったメキシコ人不法就労者と、その時の感情任せで暴走してしまう若者。

そしてまるでバベルの塔が如き超高層ビルが立ち並ぶ日本。障害があるが故に受ける社会からの拒絶、偏見、差別。それら不条理に対する不満と自分自身に憤りを必死に訴えようとするが、逆に自分を痛めつけていってしまう聾唖の少女と、それをなんとか理解しようと努めるが喪失感からかいつもどこかですれ違ってしまう父親。

この登場人物たちが偶然の関わりを持ったとき、血は流され、死が訪れ、喜びは絶望に色褪せ、叫びは嗚咽に変わる。しかし同時に各人は日頃は気づかないが、確実に己と己の大切な人と結ばれている一本の尊い糸の存在を噛み締めるのだ。


この映画では必死で何かを訴えよう、伝えようともがきながら生きている人々の姿を克明に描き、その人々の心を浮かび上がらせている。私たちは鑑賞後に走る衝撃をそのまま受け流してしまってはならない。なぜならその衝撃は私自身の心に饒舌に問いかけているように思えてならないからだ。「これはお前たち自身の姿なんだよ」と。

私たちも多かれ少なかれ混沌とした関係性の中で日々息を切らせている。もしも一日の終わりにその日の出来事を思い出したとき、喜びや怒りや不安を感じつつ繰り返しである明日を待ち望む気持ちがあるならば、それは自分の世界をよりよくしようとしている健全な状態である証拠だ。しかし、もしその日の事実だけしか思い出せず、只々虚脱感に襲われるようならば、それは必要以上に傷つくことを恐れ、いつの間にか他者との間に高い垣根を作ってしまっているのだろう。他者と感情の共有がなければ新たな楽しみは生まれない。もちろん他者と積極的にコミュニケーションを取り、時として感情をぶつけ合わなければ感情の共有も成立しない。そしてひどく薄っぺらな自分に気づいたとき、不安と疲労感に苛まれる。常時この状態に陥っている私たちは、不安を隠し、仮令まがいものであっても楽しさを手にするため、私たちはカラオケやボーリング等、“他者との間に媒介を置きつつその時間内だけは楽しめる切符”を買ってしまっているのだ、とも思う。

この映画は人々の絶望的な状況をただ提示しているわけではなく、エンディングでは混沌とした人間関係の霧が僅かに晴れていく様子を見せ、私たちに希望を抱かせる。

確かに、人間としての様々な表情を見せる演技をしているのは菊池凛子だけで、他はただ危機的状況を取り繕っているだけのような印象を受ける。しかしこの映画を観れば、誰しもが何かを思うところがあるはずだ。
名作には至らないかもしれないが、とても力のある作品である。

FLY,DADDY,FLY

夏休みとは、どんな意味を持つものなのだろうか?
人それぞれ印象は違うのだろうが、そこにはいくつかの共通したキーワードが存在することだろう。

冒険、旅行、祭、合宿などなど。

それらの終末には必ず大きな”自分”を見つけられるはずだ、と信じている人がどれだけ居ることだろうか。
たしかに強ち間違ってはいないのかもしれない。しかし真実その境地に至るまでには苦い思いも噛み締めなくてはならない。
その一番最初に立ちはだかる壁こそが、自分がどれほどちっぽけな存在であるかに気づくことだ。
全てはそこから始まる。そしてそれを乗り越えていったとき、一回り大きくなった自分がいる。


まだ夏休みは始まったばかりだけれど、既に冷房の効いた部屋からボーっと青空を眺めて一日を過ごしている人にはこの映画をおすすめしたい。
2005年の日本映画。主演は岡田准一と堤真一の二人。
原作の金城一紀が脚本も担当しているのでわりと原作作品世界が壊れていない。
「娘は楽でいいよな」等といったツッコミはこの際野暮といったものだろう。

――主人公が勝たない話なんかに興味はない。

といった心意気が感じられるエンターテイメント作品も、たまにはビタミン剤として必要なのでは?(あ、これは自分に対してか......)

――飛べ、おっさん(つーか俺)!

ボルベール

「オール・アバウト・マイ・マザー」等で有名なスペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督、「バニラ・スカイ」等のペネロペ・クルス主演の作品だ。

”ある殺人事件”が発端となって歪みだした人間関係が”ある別の殺人事件”によって帰結していく展開に、死までの尊い人生を力強く生きていく女達の様を鮮やかに映している。

この監督の作品は本当に画が美しい。
まず冒頭の”墓掃除”のシーンから、古いイタリア映画を彷彿させるような格式が匂立つ。
また鮮血、口紅、洋服、パプリカなどの紅色がこれ見よがしに花を咲かせるのだが、くどくならない。
そしてカメラワークが巧い。
”殺人の告白”シーンでは本人を正面から見据え、”葬式”シーンでは黒ずくめの女達を斜め上から見下ろす。

更に音楽が場面ごとに気が利いていて、耳からも映画に引き込まれる。

ペネロペの口ぱく歌唱演技や、娘の怖い程のノリの軽さを除けば概して良作といえるだろう。
但し、人間関係のなかには”隠し事”が多いため、見落とさぬよう注意していないと分かりづらい。
十分に英気を養って観ることをおススメしたい。

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プロフィール

晋撰堂

Author:晋撰堂
晋撰堂は京極夏彦の京極堂シリーズにかぶれていた頃に命名。
自分の名前にも由来していますが、文化的娯楽作品から気が向いたものを取り上げてレビューを書いていこうと思います。たまに雑記と称して日々の雑念も放出します。
ただ問題は、ほとんど更新をしないということ。休眠状態を常としている現状ですが、もっと気軽に書けるよう努力してみようかと思ったのも、本日の気の迷いかもしれないです……

コメント、リンク等も何卒御気軽に。

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