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2019-04

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さくら 西加奈子著(小学館)

これは美しく、尊いものをめぐる物語だ。


東京の大学に通う主人公の“僕”はある年の暮れ、実家に帰ることを決意した。それは“家”から逃げた父親から急に届いた手紙がきっかけだった。

―年末、家に帰ります――おとうさん

スーパーのチラシの裏側に書かれたそのひどく薄くてやや右肩上がりの文字は、“僕”になつかしさを与えるには十分だった。
そして“僕”は回想する――僕等家族のヒーローだった兄が生きていた頃の幸福と、兄が突如として死んだ後の崩壊を・・・・・・


このように書くとひどく暗い物語のように思われるかもしれないが、そのようなことはない。むしろ読み始めてしばらくはとてもほのぼのとした印象に包まれる。それは穏やかな父と美しい母、優しくて“超”がつくほど格好良い兄と美しいがワイルドな妹、それに愛嬌のある犬サクラに囲まれた“僕”のこれ以上ないほどに幸福な日常が描かれているからと考えられる。
しかしそれ以上にその大きな要因となているのは作者のカラフルな色彩感覚を駆使した鮮やかな比喩表現によるところが大きいだろう。
例えば物語の冒頭で読者を引き付ける一文には、広告が次のように表現されている。
「色の褪せたバナナの、陰鬱な黄色。折りたたみ自転車の、なんだか胡散臭いブルー。そして何かの肉の、その嫌らしい赤と、脂肪の濁った白。」
文に従って次々に連想を膨らませていく読者は、飽きることなく、いや、むしろ日常生活が実は意外にファンタジックであったことに驚きつつ読み進めていくことができるだろう。
そしてこの鮮烈な比喩表現は、見事なことにこの本のテーマ自体を比喩するかのような機能さえ有しているのだ。

冒頭に述べたことだが、この物語は、美しく、尊いものをめぐる物語だ。
美しいもの、特にそれが目に見えるものであれば、それが輝けば輝くほどに対極にある醜いものはその影に深く深く飲み込まれていき、同時に心を深く深く傷つけられてしまう。
それは不作為にして仕方のないことだ。しかしその事実に美しくあるものは自覚的でなければならない。
一方、美しいもの、特にそれが不可視のものであれば、それは全てのものに平等に訪れる機会があるはずだ。しかしその美しさが意識しなくなるほどに常態となったならば、次の瞬間、それは崩壊するかもしれない。そして儚くも突き落とされた人の心を傷つけることだろう。
だからこそ、美しいものはよりいっそう尊いものとして認識しなければならない。
人はこの美しいものと醜いもものの狭間を行ったり来たりしている。
そしてその時々で歓喜したり、絶望したりしている。
これはとても自然な営みなのだろう。しかしもし、この運命の揺さぶりに耐え切れなくなることがあれば、この本を手に取り、読み終わったあとで、自分は運命に対し受け手であったのか、それとも投じ手であったのかじっくり考え、視座を定め直すことができるのかもしれない。
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自由死刑 島田雅彦著(集英社)

―あなたは死刑制度に賛成ですか、それとも反対ですか?

久しぶりに更新されたと思ったら、冒頭からヘビーな文が目に飛び込み思わず身を引いてしまった人も多いかもしれない。しかし安心されたし。これは僕の勘違いに過ぎなかったのだから。

昨今、死刑制度の是非が世相を賑わせている。僕にしてみれば死刑ほど「する側」と「される側」にとって都合の良い刑はないと考えるので、その論争は無意味に感じてしまう。そしてこのような考えを持つが故にこの本の題名はひどく魅力的に思えた。
しかしながら僕の期待は見事に裏切られた。僕は冒頭のようなテーマを想定していたのだが、それは単なる勘違いに過ぎなかったのだ。
自由死刑とはつまり自殺のことだ。

この物語の主人公である喜多善男は夢の中で“自由死刑”を宣告され、一週間後の自殺を決意する。
しかしこの他人の自殺を上手いこと儲け話に結びつけようとする男に出会ってしまったことから、喜多の“有意義な一週間”は狂い始める。
元AV女優と自殺常習犯とランデブーし、昔の恋人を襲撃し、臓器売買契約を結ばされ、アイドルと殺し屋を誘拐する。
果たして喜多は無事に(?)自殺を遂行することが出来るのだろうか?

自殺を考えることは誰しも経験のあることだと思う。
しかしそれを人生の軸に据えて余生にすべきこと、したいことを考えでしていくと、想像力に乏しい大抵の人々は同じところに行き着く。そう、酒池肉林だ。
この、いわば自由死刑のための儀式というべきものを成し遂げるのは容易ではないことに喜多善男はまず気付く。
なにしろ死を決意している人間であるにもかかわらず、その儀式は相当の気力と体力と金――つまり生の実感が必要だからだ。
そして自分の過去を忘れよう、忘れようと日々を消化している人間が自殺することは、その生と同様に死もまた無意味であり、周囲の人は彼の死を最後の冗談として笑うことで初めて微々たる意味が生じる、くらいにしか考えていなかった自らの自殺がこの社会にあっては全く容易でないこと、全く自由でないことに喜多は気づく。
この過程が時に滑稽であり、時に壮絶であり、興味深く、僕の勘違いをもろともせず物語に引き込んでいく。
また後半に散見するキリスト教とのからみが個人的に面白かった。
カトリックに少なからず縁があり、しかしながらイエスの説教くささに鼻白むところがあり、いささかアレルギー反応を示していた僕にとって、イエスとて真なる自由を求めた一人の人間であって、自由を成し遂げた故の“特異性”からその後の物語において説教的な役回りをになっているのだと認識するようになり、嫌悪感も少し和らいだ。

小説とは読者にただ喜怒哀楽の感情を生じせしむるだけのものではないと思う。
小説とは読者の世界観に新たな物語を吹き込み、その小説からもたらされた新たな認識が読者の世界観を再構築する手助けをするものだ。
その意味で本作は成功をみたといえるだろう。

「自由死刑」というショッキングなタイトルに挟まれ葉巻を燻らす島田氏本人の写真が装丁されている表紙は、いつもながらにナルシシズムに溢れており、その確信犯的なところに苦笑する。
しかし躊躇することなく手に取ってみることをおすすめしたい。
特に村上春樹作品のように虚構のなかにある現実に身を浸すには気力がなく、石田衣良作品のようにあたかも現実のように作られた虚構を駆け巡るには体力がない時には――。

転々 (1999年双葉社/2006年新潮社)

まだ少ないながらも、ここで紹介している本の全てが新潮社より出ているものなので、晋撰堂店主は新潮社ばかりを贔屓している、とどこからか不満の声が聞こえてきそうだが、決してそのようなことはない。お気に入りの京極夏彦氏の作品は講談社と角川だし、時々読む藤沢周平氏の作品も、石田良衣氏の作品も文春文庫だ。極めて満遍なく読んでいるのだが、何故か紹介したい本がいつも新潮社の本になってしまっている、と弁解しておきたい。念のため。
まぁ、確かに新潮社は“新潮社装丁室”という独自のカヴァーデザイン部門があるように、本に対する真摯な姿勢が窺えて好感を持っている。紙質が悪いという面もあるが......

さて、話が逸れてしまったが、今回紹介するのは藤田宜永の「転々」だ。既に映画化も決まっており、出演はオダギリジョー、三浦友和等だ。原作を読んだ限りでは、オダギリは良いとしても、どうしても三浦のイメージがなく、できれば渡哲也にでも演じて欲しいものだ。しかも映画予告編を見たところ、原作の暗さは感じられず、とてもコミカルな雰囲気だったので心配は募る一方だ。

さて、またも本筋から逸れてしまったが、これからは本の話に集中したい。
まずこの本を読むにあたって注意しておきたいのは、ラストでまるで見知らぬ街に独りとり残されてしまうかのように突き放される衝撃が待ち受けているということだ。
終盤の展開を考えると、気分良くハッピーエンドにも出来ただろうが、それを避けるところが――賛否両論あろうが――この本が人の心に残る所以なのだと思う。
しかし、そこに至るまでに、まさに転々と様々なことが起こる。

主人公・竹村文哉は実の親に捨てられ、養父母はろくでなし、そして自分は大学を休学し、借金は積もる一方、さらに下宿先の大家からは立退き勧告を受け、まさに不幸を絵に描いたような男だ。そこに取り立て屋風情にして「天国と地獄を一度に見ているような」男・福原が現れる。福原は「百万円払うから俺と一緒に東京を散歩しろ」と奇妙な提案を文哉に申し渡す。文哉はいぶかしむが、他に選択肢もなく、その小旅行に付き合うことになり......!?

二人が歩を進めるにしたがって、様々な人と出会い、事件と遭遇し、どこまでも変わり映えのしない街並みを眺め、どことも異なる街のにおいを嗅ぎ、自分たちの過去が鮮やかに甦っていく。そのそれぞれの街の描写がとても鮮やかで、知っている街のことだと
―うんうん、そうだよなぁ。
と思わず頷いてしまい、知らない街のことでも頭のなかにリアルな地図が広がっていくような錯覚を覚える。
その鮮やかさは主人公等が思い起こす過去の出来事も同じで、妙に生々しい。それもそのはず。主人公たちにとって、その語られる話はまだ「過去の出来事」にはなっておらず、常にフィードバックされているものなのだろう。したがってこの歩みは、その出来事を過去のものにしていく苦しい作業でもあるのだ。
人生とは多かれ少なかれドロドロとしたものだが、主人公の人生(不幸な出生やストリッパーとの情熱的な恋(!!))は特に際立ってその部類に入る。しかし本作からはグロテスクな雰囲気は感じ取れない。その理由は主人公の乾いた感情と、福原の粗雑だがどこか温かい人柄――或いは東京の空気にあるのかもしれない。
変温動物になってしまったかのような人間が、東京の街の温度にその人生を左右されてしまうのか、或いは冷たいものと熱いものを持ち合わせる人間が、意図せずそんな東京の街を創り続けているのか――僕にはわからないことではあるが、きっとその理解の及ばないことも含めて、人生はそんなものなのだと思う。

興味を御持ちになられたら、是非御手に取って戴き、車と電車と、人々の靴音の途切れない東京の街で読んで戴きたい一冊だ。

東京湾景 (2003年/新潮社)

僕はほとんど恋愛小説を読むことはないのだけれど、この本はお気に入りの作家である吉田修一によるものであったため読んだ。
吉田作品を読むとき、その鋭い文章から鋭利なナイフを喉もとに突きつけられているような感覚を憶えることがある。しかしこの作品は登場人物が温かく見つめられているようで、比較的安心して読んでいられる。それでいてこちらが赤面してしまうような甘い言葉の重ねあいも少ないこともありがたい。

品川埠頭の倉庫街で働く青年・亮介が携帯の出会い系サイトで知り合った「涼子」と名乗る女性と25歳の誕生日に出会ったことから物語りは始まる。嘘を重ねて真実を隠し、遊びとも本気ともわからない駆け引きのなかで二人が求める愛のカタチとは......!?

二人の人物(亮介と「涼子」)の設定が見事。
方や亮介は高校卒業後すぐに品川埠頭の倉庫街で肉体労働に勤めるようになり、住居は会社の狭い寮で生活も決して良いものではない。また自分の言いたいことを上手く言葉に表すことができない幼さが残り、「涼子」を好きになってからも、過去に熱烈に愛した女へのコンプレックスや今の彼女へのうしろめたさ、「涼子」の男関係といちいち振り向いては切り捨てて「涼子」に歩み寄っていく。
方や「涼子」は品川埠頭の対岸にある華やかなお台場の一流企業でバリバリと働き、生活も潤っていながらも、恋愛にたいしては虚無感を抱いている。しかし亮介に惹かれるにしたがって世界は「亮介」と「わたし」の関係に変わり、他の雑多なものには目を向けなくなっていく。

人気がなく大きな倉庫が乱立する寒々しい品川埠頭に対して、いつも人の笑い声が響いていそうで華やかなお台場――その対照的な生活空間設定に加え、また恋愛感覚も少しづつ異なる二人ではあるが、お互い「心で繋がり合う恋愛」を求め、それでいてなかなか飛び込めないで進退を繰り返すゲームの行方から目が離せない。
また才能の枯渇に悩み、亮介と「涼子」の恋愛の行方をそのまま小説にしてしまおうとし、そのゲームに横槍を入れてくる恋愛小説家の青山ほたるの存在も面白い。

僕も羽田空港を利用する際は必ず東京モノレールに乗車する。その度になんとなく目にしていた味気ない風景も、この小説を読んだ後では色づけされたように、今までとは違った風景に見えるかもしれない。


余談ではあるが、僕は小説を読むときに「この小説の雰囲気にはこの人の曲が合うな」等と考えて曲を流すことがある。ハマることもあればハマらないこともある。しかしぴたりとハマった時にはその感動は何倍もに膨れ上がる。
この本のメインテーマは絶対的に椎名林檎の「本能」だと思う(特に第五章で)。そしてエンディング(第六章)は「依存症」でシメたい。偶然にも「依存症」の歌詞には「品川埠頭」と云う言葉も入っていることであるし。


―明け立ての夜を強請る品川埠頭に似合うのです

黄金を抱いて翔べ (1990年/新潮社)

言わずもがなだろうが、本書は1990年に発表された高村薫のデビュー作にして日本推理サスペンス賞受賞作だ。

実務能力に秀で大望を抱く男・北川の呼びかけによって集まった四人+一人――友人にして金庫破りの名人・幸田、イケメンコンピューター技師・野田、爆弾のエキスパートで元北朝鮮工作員・モモ、元エレベーター整備士で謎多き老人・岸口、そして計画を盗み聴きして加担することになった北川の弟・春樹だ。この六人の男たちが狙うものは、銀行の地下に眠っている六トンもの金塊だった!!

『大阪の夜空の下に散る男たちの影が、金塊のきらめきに変わる!!』
そんな売り文句を帯に付けたくなってしまうハードボイルドな小説だ。
しかしそんなに首尾よく目的のブツを手に入れられる訳ではない。実質的な主人公の幸田を中心とした各々の過去と、更に様々な者共の思惑が絡まりあい、もう息をつく暇もないような展開を見せる。
それにしても「これがデビュー作!?」と驚愕するほどディティールが細かい。複雑な電気回路の説明やら、朝鮮との国際情勢やら。そのリアルさと云ったら、この話がまるで昨日ニュースで見た出来事かと勘違いしてしまうほどだ。そして「そうか!完全犯罪はこうして成立していくのか......よし、僕もひとつ!!」と野心を抱いてしまう(いえ、冗談です。僕はあくまで合法的な人間ですよ?信じてください)。

「信じるものは、救われる」
そう、著者が国際基督教大学出身と云うこともあって、少しばかり聖書や教会も絡んでくる。

少し話は逸れたが、兎に角、「金の延べ棒を抱いて眠りたい!」等と日々夢に思い描いている人(?)も、そうでない人も、必読ですよ!

それにしても金の延べ棒なんか普通に持っている人なんか居るのだろうか?
二年前位に、都内の豪邸に住む無職の初老の男が逮捕されたと云うニュースを耳にした。なんとその男、三十余年に渡って空き巣を生業とし、遂に現行犯逮捕に至ったのだと云う。そしてその男の屋敷のなかはサバくにサバけなかった美術品や高級家具等々に溢れており、その中のひとつとして金の延べ棒もあったらしい。もう、現代のルパンだ。当時僕は不謹慎にも感動してしまったのをよく憶えている。

再度話が脱線した。つまり僕自身、読後の感動が未だ冷め切れていないと云うことだ。
最後に、この本を読み終えて唯一疑問に残ったことがあるのだが、作中で幸田が買ってきた寿司と牛乳のとりあわせは一般的なのだろうか?僕は想像してみて気持ち悪くなってしまった......

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プロフィール

晋撰堂

Author:晋撰堂
晋撰堂は京極夏彦の京極堂シリーズにかぶれていた頃に命名。
自分の名前にも由来していますが、文化的娯楽作品から気が向いたものを取り上げてレビューを書いていこうと思います。たまに雑記と称して日々の雑念も放出します。
ただ問題は、ほとんど更新をしないということ。休眠状態を常としている現状ですが、もっと気軽に書けるよう努力してみようかと思ったのも、本日の気の迷いかもしれないです……

コメント、リンク等も何卒御気軽に。

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